祈りにも似て

生きることは深爪の痛みに似ています

かわいそうな子

  優生保護法のニュースに関連して、「(知的障害者にこどもを産ませて)責任が取れるのか、不幸なこどもが増えるだけだ」というコメントをいくつか見た。つらくなってそれ以上は追っていないけれど、そういう意見の人も世の中にはいるのか、と思った。

  以前、「親として完全な資質(健康、経済など)を持ち合わせていないならこどもを産むべきではない」という意見の友人たちと、そのことについて議論したことがある。そのときに感じたもやもやが、いま再燃している。
  ひとつには、それって、自分はどちらにせよ親になれると思っている側のひとだから言えることじゃないのかな、ということ。わたしには、わたしが「普通に」親としての資質を持つとは信じられない。この先歳を重ねてもそれは変わらないと思う。それでもあるタイミングになればこどもを産みたいと思う。それは罪なことだろうか? その友人たちは、自分を、ぱっと見に欠けたところがないから、「普通に」親としての資質を持ち合わせている側だとみなしているんじゃないか。でも、どこも欠けてない人間っているだろうか。
  綺麗事を言います。養育において障害の関係で不適切な部分があれば、それは周りが手を貸して導いてあげるべきだと思う。そんな特別扱いをしなければならない面倒な存在は、そもそもこどもを産むべきじゃない、という反論が聞こえてくるけれど、じゃあ手助けなしで養育を完全に進められる欠けたところのない親がいるだろうか。そもそも、養育を産んだ母親1人で進める必要はなくて、周りを含めて育てていくって考えてはいけないのだろうか。
  わたしがこの話に過敏に反応するのは、おそらく、すでに生まれたこどもたちへの配慮がないからだと思う。世の中には、様々な(たとえ名前が付いていなくても)障害を抱えたひとがいて、そういう親を持つこどもがいる。その子たちは一人ひとり、親に関してきっと複雑な思いを抱きつつも、たぶん(もちろんそうでなくてもいいけど)親を愛している。そういう子たちの、家庭における様々な愛のやりとりだとか、そういうのを、一様に他人が否定していいとは思わない。完全な親でなくても愛している、そんな思いは他人にどうこう言われるものではない。「完全な親でなければ産まないほうがいい」というような意見は、すでに生きている、不完全な親から生まれてきたこどもたちと、その子たちが親と歩んできた道のりと、そういったものを否定している。
  目に見えて欠けているところのある家庭だからって、その子が不幸だと決めつけてはならない。影響は少なからずあっただろう。それでもその子はすくすく育って、自分で考え選んで開いていまここにいる。それだけで十分だと思う。勝手に、産むべきではなかった=生まれるべきではなかった、なんて、言われる必要はどこにもない。

  わたしたちはみんなばらばらの家庭から来た。たぶんどこにも、完全な親、完全な家庭はない。いろんな形の家庭があって、それでいいんじゃないかと思う。欠けたところがあっても、助け合っていけたら。そう思ってしまう。

『幕が上がる』感想後編

感想後半。

  合宿の際に、「東京」で「演劇」を続ける道が、小劇場の舞台に立つ先輩の姿を通して、さおりたちに示される。そしてそれは、楽しいばかりでないことが、久しぶりのさおりたちの顔を見て思わずうつむき、涙ぐむ先輩からも十分示唆される。吉岡先生は言う。
「大学行って、バイトして、稽古通って、いっぱいいるんだよ、そんな人が、この街には。それこそ、星の数ほど。いま、君たちもその一員。そう考えるとどう?少しは心強い?」
別れの手紙に先生は綴る。
「その時点で、私の気持ちはもうどうかしてしまっていたのでしょう」「そのオーデションは本当に楽しかった。一流のスタッフ、一流の出演者、その中に混ざって一緒に何かを作って行くことが、私にはたまらない喜びでした。そして私が選ばれました。私は、お願いしますと答えていました。やはり私は、教師ではなく、役者でした。」「相談した母は、泣き崩れて反対しました。私は母を裏切り、皆さんを裏切り、それでもなお、演劇の道を進もうとしています。でも今は、それしか考えられません。」
結局、吉岡先生は、どこまでも、演劇に取りつかれたままであったのだ。「人生の責任まで取れない」と吉岡先生が言うように、演劇との出会いは、人生すら狂わせる。
そう、高校演劇の先にはサークルで、劇団で、養成所で…様々な道で演劇を続ける方法が開かれている。「幕が上がる」のひとつの特徴として、高校演劇をテーマにしつつ、その先にあるものも指し示していることが挙げられる。人生と演劇とをともに歩む人がこの世界には沢山いる。決して平坦な道のりではないけれど。そして、吉岡先生は、さおりは、その世界へ飛び込むのだ。

  吉岡先生との突然の別れを受け、考えに考えた末、さおりは、部員たちに向かって、静かに語り出す。その内容は、脚本のなかに語らずとも存在するテーマを、いまのさおりにしか捉えられないものを見事に映し出している。
「なんなんだろうね、この、不安、感? でね、思ったの。今日の授業中に。私たちは、舞台の上でならどこまでも行ける。想像するだけなら無限だよ。でもねえ、でもわたしたちは、どこにも辿り着けないっていうか…私たちが歩いたぶんだけ、いや、私達より何倍も何十倍も速く、宇宙とか世界とかも広がってて、どんなに遠くに来たつもりでも、そこはやっぱり、どこでもないどこかでしかないんだなって。辿り着けないんだ、宇宙の果てには。それが不安ってことなんだなって。私たちのことだなって。そう思いました。……」
さおりの台詞は、部員たちへの決意表明へと繋がる。そのシーンもとても好きだけど、この、さおりが自分の言葉で脚本の内容を語る言葉が大好きなので、その部分を特に引用した。わたしはいつこの、ヒリヒリするような不安を、さみしさを、失ったかな、それともまだ抱えているかな。
わたしが演劇を好きでい続ける理由は、演劇が、身体と台詞で、言葉では語りえぬものを、言葉にしては零れてしまうものを表すことのできる、その力にある。そのような語りたいもの、言い換えればテーマをきちんと持つ演劇は強い。みんなでそれを共有して同じ方を向いて表現していけば、伝える力はなお強くなる。高校生の生々しい感情を、言葉にできないものをなんとか言葉にして、みんなに伝えて、そうして共有する作業。さおりは、この場面において、演出家の大切な仕事を成し遂げている。

「負ければそこで終わり。そんなことはわかってる。ごめんなさい、わがままなのはわかってる。でも、お願い。」 

「神様、もう一度だけ。もう一度だけ私たちにチャンスを」

「神様、お願い」
さおりがもう一度だけチャンスを、と願うように、高校演劇では、勝てば勝つほど、上演のできる回数は増える(大会の枠内で、という意味では)。もっとこの公演をやりたい。そう思うなら、勝たなきゃいけない。でも、さおりのなかではいつのまにか、この部分に関して転換が起きていると思う。勝負に勝ちたいわけではなくて、ただ純粋に、このメンバーで、もっと遠くへ行きたい。演劇がしたい。その思いだけがあって、勝敗は後についてくる。
  後輩である明美ちゃんに一対一で演出をつけているときにも、二人の会話はふと、その思いを示す。
「正直怖い。大会とか、なくていいのにね。あ、これみんなには内緒ね。こうやって何かに向かってずっと歩いてるだけでいい。どっかに辿り着いたら、そこで終わっちゃうかもしれないでしょ。」
「私も似たようなこと考えます。このまま時間が過ぎれば、さおさんがいなくなる日は絶対くる。残酷です。部活って、いつか必ずやめなきゃいけない。時間は止められないんです。この本にも書いてありますよね。カンパネルラが死んで、でもジョバンニは生きてて、ジョバンニだけは、生きていかなきゃいけなくて。それって、生き死にだけの話じゃなくて、私たちみんながそうで。」

  夏菜子ちゃんの国立競技場での挨拶はもう伝説だけれども、「笑顔の天下」のキーワードが出てくる前の部分も私はすごく好きで、初めて読んだ時から印象に残っている。以下、引用。
こうやって、国立でライブをするのも、国立でライブがしたいっていうだけじゃなくて、たくさんの人に私たちのライブを観て笑顔になってほしいっていう思いで、大きな会場でやりたいなあって思ってます。私たちは大きな会場でやりたいから、やってるわけじゃないんです。会場をゴールにしてたら、大きな会場でやったらそれで終わりみたいになっちゃうけど、私たちは、みんなの笑顔が見たくて、それにくっついてきて、大きな会場でやりたいっていう感じで……

  この二つの考え方は、重なり合うところがあると思う。
  結局、演劇がしたいのだ。このメンバーで。いつまでも、どこまでも。そのためには勝つ必要がある。でも、勝つために演劇をしているわけではない。
  「幕が上がる」において、部活をテーマにした作品特有の、相手との勝負を前面に出した描写がないのは、そういうことなんだと思う。勝つためじゃなくて、舞台をひとつひとつ積み重ねていったさきにある未来を見たくて。いまここにしかないものをほんの少しだけ伸ばして、神様。

  大会前最後の練習を終え、曇り空をみんなで見上げるシーン。わたしはここで、どうしても思い出すある漫画の台詞がある。
感想の前編でも最後に紹介した、『演劇部五分前』より、演劇部での合宿の夜、まさに同じようにみんなで窓の外の光を見つめながら、ひとりが呟く台詞。
「多分この先も辛いこととかうまくいかないこととかたくさんあって けどそういう時 こういう思い出を少しずつ消費しながら生きてくんだろうね」
同じ高校演劇をテーマにした作品で、同じ空を見上げての場面だからどうしてもオーバーラップするというのもあるのだけど、それだけではなく、今このときがあまりにもかけがえのない一瞬であること、これからの長い人生を経てもなおキラキラし続ける思い出であり続けること、も共通点であるように思う。それをほんの少しのスパイスとともに表現するなら、後者の、「思い出を消費」という言葉になるだろう。人生はこの先も長くて、なにが待っているか分からなくて、それでもこの瞬間があまりに大切。部活に懸命な者にこそ訪れる祝福。

  ラストシーン。
「緞帳スタンバイ、5秒前、4、3、2、スタート」
そして、「幕が上がる」。暗くなる客席。光に溢れてゆく舞台。明るい舞台に飛び出す役者たち。
そう、舞台から見た客席って暗いんです。この、本当は舞台に立っているものだけがみる景色をラストに持ってくるということ。この画は、舞台の上がどこよりなによりきらめきで溢れていて、みんなの一瞬が、永遠が、そこにあることを表していると思う。さおりは言う。

「先生、私をここまで連れて来てくれて、本当にありがとうございました。私はここから、宇宙の果てを目指します。」
そう。宇宙の果てだって、舞台に載せてみせる。それが演劇。

『幕が上がる』感想前編

  なんで演劇やってるの? もし現役時代の自分がこの質問を投げかけられたらどう答えただろう。

  演劇部は、そして部活での演劇は、条件が重なれば、さしたる覚悟を持ち合わせずとも入部できるしそのままなんとなく卒業まで続けることもできる。演劇は、セリフをしゃべる人間さえいれば成立するなんてよく言われるけれど、だからこそ厄介なんだと思う。完成度を度外視すれば演劇部で演劇するのは簡単だ。台本を読んで、動いてみて、演じることが楽しくなって、そのままなんとなく演劇し続けて、卒業した。
  同時に、地区大会や上の大会、どこでも、眩しく燃え尽きてしまいそうなほど今しかできない演劇をしてる人たちをたくさん見た。役者としての中西さんやユッコも、脚本演出に優れた高橋さんも、やがて演劇に一生を捧げる吉岡先生もそこにはいて、私のような人もこの人たちも同じ「高校演劇」のひとくくりで勝負してるのだから変な世界だ、と思っていたのを覚えている。

   演劇はどうやったって表現であることからは逃げられない。だから、どれだけ適当な理由で始めたとしても、きちんと向き合った時点で「なぜその公演をやるのか」つまり「その劇で何を伝えたいのか」、この問いにあたることになる。もちろん、私自身がそうしていたように、ただ楽しいだけのまま終わることもできるけれど、それはそれで結局「部活として楽しい」を公演全体のメッセージとして発しているんだよなあと思う。「なんで演劇やってるの?」この問いから逃げたまま、本気で演劇することはたぶん、不可能だ。

   今の私ならばそんなふうに、答えにはならないけれど自分の考えを言葉にできる。けれど現役当時はそこまで考えてはいなかったし気づきたくもなかった。もし現役部員のころ誰かにガチトーンで「なんで演劇やってるの」一歩踏み込んで「本気で自分の全部をかけて表現したいことなんてあなたにあるの」と問われたら、自分の空っぽさから逃れられず、そのまま部活を辞めてしまったかもしれない。

  しかしながら、そんな会話を交わす人と出会うことはなくて、ただ目の前のことに必死でいたら私の三年間は終わっていた。演劇が恐ろしく底の深いもので自分はその淵からなかを覗いていたにすぎなかったと本当に気付いたのは卒業したあと、高校演劇の渦から一抜けた、したあとだった。
 

  ここまでは私の、ありふれた思い出話。

 

  映画『幕が上がる』では二回、主人公さおりへ「なんで演劇やってるの」の問いが投げかけられる。どちらも印象的なやりとりだ。

 一度目は、元・学生演劇の女王と判明した美術教師、吉岡先生にさおりが演劇部の顧問を頼むシーン。以下、さおりと先生の会話(聞き書き)。
「分からないんです」
「なにが?」
「どうしていいのか」
「なにを」
「なにもかも」
「じゃあ、なんでやってんの?演劇」
「え?」
「やめればいいのに、それなら」
「、でも……なんていうか、……でも」

 二度目は、大会用の脚本を任され思いつめたさおりが、偶然会った演劇強豪校からの転校生・中西さんに相談するシーン。
「どうやって書くんですか?台本って。全国に行こうとかって言うんです、先生が。なんか合宿やろうって言いだすし。しかも東京で。東京って!なんか展開が怒涛っていうか、こんなはずじゃなかったっていうか。」
「高橋さんって、なんで演劇やってるんですか?」
「それ吉岡先生にも言われた、なんでか。」

二度とも、本気で演劇をやっていて、いまなお情熱を捨てきっていない。そんな人からのまっすぐな問いかけだ。

 

 映画序盤、東京の大学への進学を控えた先輩が、上京後の夢をさおりに明るく話す場面がある。
「やっぱりやめられないんだ、演劇。内緒ね、親にも言ってないから。東京で、プロのオーディション受けて、実力試して、経験積んで、最終的には、自分の劇団を作る。そこで作家をやるのが私の目標。だって、他じゃ味わえないからさ、あんな感覚。自分の世界が、目の前でできあがっていくの。それを、お客さんと一緒に見てる自分を想像するとさ、たまらないよね!頑張らないと!」 
それに対しさおりは、口には出さずモノローグでこう返す。
「ごめんなさい、先輩。私はこの時、少し別のことを考えていました。将来の目標、自分のイメージする世界、驚くほど浮かんでこないんです。私の世界はどこにあるんでしょう。」
 私の世界はどこにあるんでしょう。表したいことも自分のことも、なにもかもわからないのに、なんで私は演劇をやってるんでしょう?

 さおりのそんな思いは、演劇部が新入生オリエンテーションで公演を打つ場面で、自分たちの劇に全く集中していない客席の生徒たちを見てついに「何で演劇をやっているのか」がまったく分からないところまで至ったのだと思う。衣装と装置があって、役者がセリフを言って、確かに劇は成立している。でもみんな舞台の前を素通りしていく。ユッコはさおり曰くの「女優」なので、客席が冷え切っているのを感じ取ったとしても堂々とロミオをやりきることができる。けれど脚本の翻案と役者を兼任したであろうさおりは、元々の気質もあって、そうはいかなかった。誰にも顧みられない舞台、けれどそれは当然のことだ。この劇には何もないのだから。自分は空っぽなのだから。舞台の上で感じ取る断絶は、一瞬であってもあまりに深い。

 

 その断絶から時がたち、先に挙げた二度の質問を経て、映画中盤、中西さんの問いかけから少しあと、二人で演劇の地区大会を見に行った帰りの駅のホーム。ここでさおりは中西さんに、自分の言葉でその質問に答える。
「始めた理由はたいしてない。でも、やめる理由はもっとない。私はたぶん、ううん、絶対、最後までやり通す、演劇部。」
と言う。なんとなくで始めたから何もわからないけれど、楽しいことは分かるし、演劇を通して人と話せる。演劇ってひとりじゃできない。と、さおりは訥々と、自分のなかの考えを一つずつ丁寧に言葉にしていく。

  映画全体を通してみてもとても重要なシーンなのだけど、初見時には個人的な思いがあふれすぎてとても冷静には見られなかった。
「なんで演劇やってるの?」
 かつては強豪校で全国を目指していて、自身を際まで追い詰めるほどに悩んで、いまだって演劇への思いを捨てきれずにいる中西さん。そんなふうにして演劇にすべてをかけて取り組んでいた人に、この問いをかけられたさおりが、ごまかしもせず卑屈にもならず、自分の言葉でこの問いに答えられるのは、それだけいまの彼女が演劇に真摯に向き合っているからだ。
「あー、演劇って一人じゃできないんだねーって、うん、そういうことだと思う。」
これがいまのさおりが演劇を続ける理由、さおりの核。

「宇宙でたったひとりだよ」と泣き出しそうな人の隣に立ってそっと「でもここにいるのはふたりだよ」と伝えるために、さおりは演劇をする。

 冒頭で、なにもわからない、と泣きそうな顔をしていたさおりが、どうやってこの答えにたどり着くのか。『幕が上がる』の前半は、その過程を静かに丁寧に描く。隠し玉も変化球もなしに、脚本演出と役者の力で演劇部を立ち上げなおす、地に足のついた奇跡の描写だ。そうしてさおりが言葉にした答え。なんてやさしく、うつくしく、さびしい言葉。「でも、ここにいるのはふたりだよ。」さおりのなかにある、やさしく、うつくしく、さびしい世界。その風景を見るため、さおりは『銀河鉄道の夜』をもとにした脚本を書く。
ここまでの描写のすばらしさで、初見時はもはやこの時点で号泣していたなあ。友人が隣に座っていたから、心の中でだけど。

後半へ続く。

 

※いろいろ考えるにあたってたぶん参考になっている高校演劇関連ふたつ。なんなら『幕が上がる』の背中合わせ、裏面と思っている作品たち。

香川県立観音寺第一高等学校 2014年度全国大会出場作品 『問題のない私たち
http://www.kagawa-edu.jp/kanich01/index.php/engekiblog
こちらのブログの「台本置き場」カテゴリから脚本がPDFで公開されています(ありがたい)。

・『演劇部五分前』百名哲
http://www.amazon.co.jp/演劇部5分前-1巻-BEAM-COMIX-百名哲/dp/4047262749
(絵柄は人を選ぶけど)演劇部のある一側面をめちゃめちゃリアルに描いていて、作者は何者!?とずっと思っている。絶版なりかけらしいけどはやってほしい……。

素直に

  わたしの生きづらさの何割かは、女性である自分との関わりで生まれていることに気づいている。だから、本当は大学ではジェンダーに関する授業を多くとれば少しはつらさが整理されるかもしれないと思ってはいたけれど、なんとなく怖くて、近寄れないでいた。こわさは、言葉にするのは難しいけれど例えば「女性はこんな抑圧を受けている」と言葉にされたらその圧倒的な現実の前に立ちすくんでしまいそうだとか、これ以上「女性の抑圧」に敏感になったらもっと生活しづらくなるだろうとか、そんなところだと思う。結局、四年生になって何気なくとったクィア理論入門で、マイノリティそのものへの抑圧構造とその克服への闘い方、を学んだことが、わたしを少し楽にしてくれたのだけど。
  マジョリティとマイノリティなら、マイノリティに肩入れしがちな自分にも気づいている。「肩入れ」はいいことだけではなくて、それは時に偏っていて、なるべく判官贔屓だとか同情だとかにならないように努力が必要。で、結局のところ、なんでそうなのかと考えると、自分もマイノリティだという気持ちがわたしの根底にあることは、恥ずかしい自意識だけど認めざるを得ない。前にも書いたように女性である自分の受け入れに関して多少認識に歪みがあることが、わたしにその気持ちを抱かせている。といって、堂々とマイノリティ宣言をできるほどのものではない。ただひっそりと、人にはわかってもらえないだろうけど、と思うだけだ。そうして、マイノリティであろうと別に人に文句言われないで幸せになっていいでしょ当たり前でしょ、という怒りのようなものが、時々わたしを突き動かしてツイートさせたりする。
  女性と男性の話はすごくすごく難しい。たぶんどっちも「女性/男性らしさ」として当てはめられた役割が、それをこなせない人にはつらいものだから、なるべくそういうのは人によって柔軟に選択できるくらいのものになればいいなって思う。そこまでは冷静な顔をして言える。でもそれとは別に、そもそも力でかなわない男性に、女性はなにを言えるのか?と、思ってしまうこともある。どれだけ対等に扱って欲しいと思っても、殴られたら一発で泣いてしまうなんて、そんなのどうしたらいいかわからない。といって泣かれたら困るのは社会的に見て男性のほうで、それも勘弁してほしいだろうな、と想像はつく。もし誰かに「劣った性別のくせに」と言われたら、わたしはうまく反論できるだろうか?自信がない。わたしが劣っているのはわたしの性別のせいではない、絶対。そう思うけれど、時々、この身体のなにもかもが疎ましくなる夜がくる。
  ぐるぐると考えて、考えるけれど人にはおそろしくて話せない。「考えすぎ」「自意識過剰」「被害者意識」みたいに思われたらとてもつらい。ジェンダーについて考えているだけでめんどくさいやつみたいに思われがちな社会、爆破したい、という気分だ。

気づき

  自分に対して、常に、客観的視点から見ての評価をなすように心がけていたことに気がついた。第三者の目から見て頑張っていると思われる水準に達していなければ、それは頑張っていないのと同じだということ。それってとてもしんどい考え方だ。無意識にやっていたから、いままで気がつかなかったけれど。
  だから最近は、なるべく主観ベースで自分の状態を捉えるように心がけている。私が「疲れている」と自分で思ったなら、それはとにかく疲れているのであって、たとえ他人から見たら疲れるほどなにかを成していないとしても、疲れたことは本当として認める、ということ。
  言葉にすると単純なことだけれど、やってみると、自分にとっては難しい。他人のふりをした自分の声がどこまでもつきまとう。「みんな頑張っているのに、私は頑張っていない」「みんなにできていることができていない」と。それでも、私は私を頑張っていると思ってあげたい。
  ポジティブシンキングという言葉が信用できないこどもだった。ポジティブって良いものだとされているけれど、どれだけ頑張って物事をプラスに捉えようとしても、どうしたって生まれつきの根がネガティブだから、無理に自分を騙しているみたいになってしまう。ポジティブシンキングなんて、生まれつきそれに向いてない人間には無理な話だ。
  でも、そういう斜に構えた考えは、物事の捉え方自体訓練で身につけられるものだと思うようにしてからは、無くなった。ポジティブは生まれつきどうこうの話ではなくて(もちろん生まれつきの人だっているけれど)、生きて行くうえでの方法で、戦略で、時間はかかるけれど、後天的に身につけてゆけるもの。いつでもご機嫌でいるには、物の考え方を訓練していくことが必要。生まれつきのせいにするより、そう考えたほうがずっと建設的だ。
  だからいまは、訓練と割り切って、自分を苦しくする思考のクセを少しずつ、バランスのとれたものにしていこうとしている。無意識の枠に気がつくのはとても難しくて、でもそのぶん、うまくいくととても楽になれる。考えれば考えたぶんだけ、少しずつ息がしやすくなる。それは明確に希望だと思っている。


書きながら思い出した句。

 おでこからわたしだけのひかりでてると思わなきゃここでやっていけない

今橋愛 『O脚の膝』

3分間、舞台の上で自己紹介をしろと言われたことがある。何も思いつかなくて、「何も思いつかない」という話をしたら、その場は凍り指示を出した人にはいたく呆れられた。しかし、何もない。何もないのだ。
高校から演劇に関わってきて、そのなかで、あなたには表現したいことがあるか?という問いに当たることが多かった。テーマがなければ演劇をやっちゃいけないのか、というのとはまた別の話で、あなたのなかに表現したいことはあるか、という問い。ぶつかるたびにとても困った。無いに決まっているのだけど、無いと答えるのも恥ずかしい。あやふやに笑ってごまかしてきた。
ブログを書き始めて尚更実感する。書きたいことなんてない。想像の話なら書ける。問題意識も多少ならある。けれど、書きたいことって、考えてみれば全然ない。
就活をしようとしたときもそうだった。ちょっとありえないくらいに履歴書が書けなかった。思い出せば似たような事例はたくさんあっまた。なんなんだこれは、なんなんだ。
今日、人と話していて、「自己肯定感の有無」が話題になった。信じられないくらい何も言えなかった。こんなにもわからないことが世の中にあるのか、と思った。「無」であり「空」だと答えた。ポジでもネガでもなく、フラット。0。ああ、どうりで、と、ひとりすべてが繋がったような感動を覚えた。客観的な自己への評価はできるのだけど、主観として、自分を好きとか嫌いとか、ここはいいけどここはだめとか、無な人間に、なにか表したいことがあるはずもない。困り果ててしまった。
悩みがないことを悩むようなもので、幸せなのかもしれないし、自分の中身が空虚だと落ち込むことも特にないのだけれど、ただ事実として、無であることに気がついてしまった以上、そのことで考えは持ちっきりである。それともこれも、ありふれた悩みだろうか。

深爪の痛み

ブログの紹介文に「生きることは深爪の痛みに似ています」と書いた。少し前から、多分そうなんだろうな、と思っている。

恋の最中に何か別のことを考えるシチュエーション、というのが好きで、例えば
このキスはすでに思い出くらくらと夏の野菜の熟れる夕ぐれ
伴風花『イチゴフェア』
あるいは百人一首の、
忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな
儀同三司母
これらの歌がいま思いつく。恋の絶頂といわんばかりにいま口づけしている真っ最中だというのに、そっと片目を開けてしまっている女を見てしまったような、そらおそろしさ。恋愛というもっとも自らを忘れて没頭しそうなものにすら、そうなりきれない冷静な自分が頭のどこかにいる。恋の絶頂だからこそその恋の行く末がはっきりとわかってしまうような、なにかさめざめとした感覚。激しい恋などしたことはないけれど、例えばすごく切実な言い争いをしていて、涙すら流しているのに、だからこそ、頭のどこかは冷えて覚めている、そういうときのことを思い出す。そして、そうした感覚と繋がっているのが、私にとっては深爪なのだ。

ゆめをみても
こいをしても
ふかづめは
いつもわたしとつながっている
『O脚の膝』今橋愛
この歌に出会ったのは小学校六年生のとき。祖父がくれた『12歳からの読書案内』という本の、歌集『O脚の膝』紹介部分に引用されていた。
初めて読んだときから強烈に印象に残って、それにリズムが良いので、すぐに覚えて心の中で口ずさむようになった歌だ。
深爪はどんな時でも私の身体の片隅にあって、それはどんなに夢見心地のときでも指先でちりりと意識される。「ゆめをみても こいをしても」ふわふわと浮かぶ私のことを現実の身体に引き戻すのは、深爪の痛み。なにをしていても、私は、私の身体から、もっと言えば私というものから、解放されることはないのだ。

よく深爪をしてしまう。常に痛いというわけではないけれど、たとえば髪を洗うときに指先に染みるシャンプーの感覚で思い出す。ああ、深爪していたんだっけ、と。深爪はいつもそこに存在していて、ふとしたときに自分を現実へと引き戻す。ヒリヒリとした、些細だけれど確かにある痛み。それってまるで、ということで、冒頭の「生きることは深爪の痛みに似ています」というフレーズを書いた。気取っているようにも思えるけれど、私にとっての実感でもある。なにをしていたって、本当になかったことにはできないのだ。いつもは忘れているだけで。