祈りにも似て

生きることは深爪の痛みに似ています

3分間、舞台の上で自己紹介をしろと言われたことがある。何も思いつかなくて、「何も思いつかない」という話をしたら、その場は凍り指示を出した人にはいたく呆れられた。しかし、何もない。何もないのだ。
高校から演劇に関わってきて、そのなかで、あなたには表現したいことがあるか?という問いに当たることが多かった。テーマがなければ演劇をやっちゃいけないのか、というのとはまた別の話で、あなたのなかに表現したいことはあるか、という問い。ぶつかるたびにとても困った。無いに決まっているのだけど、無いと答えるのも恥ずかしい。あやふやに笑ってごまかしてきた。
ブログを書き始めて尚更実感する。書きたいことなんてない。想像の話なら書ける。問題意識も多少ならある。けれど、書きたいことって、考えてみれば全然ない。
就活をしようとしたときもそうだった。ちょっとありえないくらいに履歴書が書けなかった。思い出せば似たような事例はたくさんあっまた。なんなんだこれは、なんなんだ。
今日、人と話していて、「自己肯定感の有無」が話題になった。信じられないくらい何も言えなかった。こんなにもわからないことが世の中にあるのか、と思った。「無」であり「空」だと答えた。ポジでもネガでもなく、フラット。0。ああ、どうりで、と、ひとりすべてが繋がったような感動を覚えた。客観的な自己への評価はできるのだけど、主観として、自分を好きとか嫌いとか、ここはいいけどここはだめとか、無な人間に、なにか表したいことがあるはずもない。困り果ててしまった。
悩みがないことを悩むようなもので、幸せなのかもしれないし、自分の中身が空虚だと落ち込むことも特にないのだけれど、ただ事実として、無であることに気がついてしまった以上、そのことで考えは持ちっきりである。それともこれも、ありふれた悩みだろうか。