祈りにも似て

生きることは深爪の痛みに似ています

日記 20.11/13

高齢の祖母と同居していることもあり四月頃からは意識して外出をかなり減らしている。だからというわけでもないが不思議と毎日やることをやっているうちに夜になっている。いろいろなことを思っている気はするけど、なにかひとつのまとまりにはなりきらない。それでというわけでもないけど、ブログもさぼっていた。だけど、ぼんやりした切れ端にメモするような事ごとでも、後から読み返したら自分にとってはおもしろいかもしれない。そういう最近の日記。

 

・今年の春以降世界は変わった、という淡い実感のまえに圧倒的なリアリティのある変化として私の前に立ちはだかっているのが、レジ袋の有料化。そもそも有料化された当時はほとんど買い物をしないでいたので、世間の人々が「あ~袋有料なんだっけ」ってあわあわしていたであろう波に乗り遅れてしまって、今更それをやっている。第一「お会計」というイベント自体社会性皆無の人間には緊張するものなのだ。疲れているときとか会計が面倒すぎて買い物できなかったりするものな。

 

 ・犬が少し前に体調を崩した。急なことでしかも日付が変わる頃のことだったから、かかりつけではなく夜間の救急受付の病院で診てもらった。そうしたら一晩入院になってしまって、そんなつもりでいなかったからショックが大きく、空っぽのクレートをぶん回しながら深夜の町を妹と走って帰った。ちょうど金曜の夜、終電が終わるころだったらしくて駅には時間の割にびっくりするくらい人がいた。自分がつらいときに華やいだ町に出ると乖離感がすごい、みたいなのよく聞くけど本当なんだな。 犬が入院している間、といっても半日と少しだけど、大人四人だけの家は驚くほど静かですべてスムーズだった。だけど犬がいて全部犬優先でめんどくさいいつものほうがずっといいな、と何日かして歩いているときにふいに思った。

 

・ひとりで歩いていたときに、前から柴犬が歩いてくるのが見えた。不躾にならない程度にわんわん観察させてもらったら、その柴ちゃんエリザベスカラーつけてて、飼い主さん一家らしい親子が一緒に歩いていた、お母さんらしき方が空のクレートを持っているところを見るともしかしたら、手術が終わってみんなで柴ちゃんを病院に迎えに行って、そしたら思ったより元気だったからクレートに入れるんじゃなく一緒に歩いて帰ろうってことになったのかな。 そんなじろじろ見たつもりは無いのだけど、ぱってそこまで考えて自分でびっくりした。この推測が当たっているかはさておいて、犬が家にくる前の自分は同じものを見てもそんなふうにあれこれは思わなかっただろうと思う。やっぱり、関心を持ったり、知ってることが増えると見え方も変わるな。

 

・祖父は庭いじりの好きな人であれこれやっていたみたいだけど、私含めほかの家族は全然で、祖父が寝たきりになってからずっとほったらかしにしていた。そうしたら知らないうちにどこからか運ばれてきたらしく竹が生え始めて、竹の繁殖力はやばいらしいよと妹が言っていたのが昨年の夏辺りか、うかうかしていて今年になったらもうすっかり茂ってしまった。さすがに庭師さんを頼んだ。母から聞いた話だが、その庭師さんが最初に見積もりに来たときに、荒れ果てたうちの庭を見て回って、「でもこの庭を造ったひとは本当に園芸が好きだったんですね、いろいろ考えて植えてある」と言ったそうだ。祖父は本当に園芸が好きだったらしい、ということを今になって知る。見る人が見れば伝わるもの、私達が見過ごし続けていたもの。

 

・庭師さんが来て、作業のついでに庭の柿の木から綺麗な実を十数個ほどもいでくれた。たぶん、ここ十年くらいは高いところに上ってとれる人もいなくて成るままにしていたんだと思う。家族の誰も食べた記憶がなかった。ビニール袋にいっぱいの柿の実を前にしばしみんなで黙り込んだ。誰も食べたことがないから正直ちょっと怪しい感じがしてしまう。すごい渋かったらどうする?そもそも渋いってどんなん? 実際には、食べたらおいしかった。ほんのり甘くてそこそこ瑞々しかった。だれもなにもしてないのに自然に成ったものだと考えたら十分すぎるほどおいしい。不思議な感じだ。

 

・家族四人とも果物をたくさん食べるほうではないので、袋いっぱいの柿はありがたいけど多すぎる。遠方に住む母方の祖母に電話して聞いてみたら欲しい欲しい、と言う。祖母と祖父は二人暮らしで食も細くなってきているから、ものをあげるときには何でも少な目がいいと言われるのだけど、今回に関してはいくつでもくれるだけもらう、むしろあなた達が食べるぶんは足りるの?悪いね、いいのそんなにもらって、とそういう調子だった。うちとしてはたくさん引き取ってくれると助かるので、お互いに思う柿の価値が微妙にずれているな、と思った。果物好きの友人が言うには、最近売られているのは甘くて柔らかな柿が多いから、家でとれたような固いものは貴重なんだとか。ここでも、知る知らないによる見え方の違いがある、と思った。

 

・「庭でとれた柿だよ」と言って小さく切った数欠を一階に暮らす祖母に出したら、皆は食べたの?食べて?とこちらに勧めて自分は食べようとしない。私がいくつか食べながら勧めたが結局ひとつだけしか食べていなかったので、もしかしたら本当に祖母は柿は好きではないのかもしれない。 ・祖母は嫌いなものは何も言わず残す。何も言わないのでなかなか気づけない。あるときふと、毎回トマト残ってるなーと思って「もしかしてトマト嫌い?」と聞いてみて初めて判明した、とかそれくらい。もうずっと食事の支度もヘルパーさんにお願いしているけれど、このタイプだと好き嫌いの把握が難しいだろうな、と思う。嫌いなものを出すと怒って食べなかった祖父と、どちらが楽と言うこともないだろうけど。

 

・「母親になって長らく家族の好みに合わせた食事を作り続けていくと母親は自分の好きな料理がなんだったか思い出せなくなる」というようなツイートを見てこわ!と思いその場で母親に「好きな料理ある?」と聞いたことを思い出す。私も、それから息子である父も、祖母の好きな食べ物が何か知らない。祖母は基本嫌いでなければなんでもにこにこ食べる人だし聞いてみてもなんでもいいのよ、というばかりだから今から確かめることも難しい。好きなものを好きと言う心掛けはもしかしたら自分のために必要なのかもしれない、と思う。

 

・そうは言っても祖母の好き嫌いはある程度、食べっぷりを見ていれば分かる。祖母の食事を母が作るようになってしばらく、判明したのは「たぶん濃い味の洋食やフライが好き」ということ。そういえば私が小さいころによく、老人会のカラオケはみんな演歌しか歌わないからつまらない、と言って、居間ではサラ・ブライトマンやクラシックの好きな曲を聴いていた。老人、と思いこむと見誤るのであって、祖母はそのまま、ハイカラな人のままなのかもしれない。

・とか言うのも、私が祖母をそういう、おしゃれなひとだと思っていたいからなのかもしれないけど。どれだけ介護されるとこを見てても。

 

・祖父の葬儀の打ち合わせで祖父が好きだった色や花を聞かれて家族一同困り笑いしてしまったことを思い出した。誰も分からなかったし考えたこともなかった。好きなものって本当意識しないと分からないな。

 

・ご近所さんが時々家庭菜園の野菜をお裾分けしてくださるのだけど、いつもなにも言わず扉の前にそっと袋に詰められた落花生などが置いてあるので、一瞬(ごんぎつね……)と思ってしまう。 ・寒くなってきたらびっくりするくらい身体に変化が起きてびっくりしている。年齢か、筋肉量か。ひたすら乾燥するし冷える。これまでは、冬だからって何か特別なことをした記憶があまりない。今年の冬は養生に努める。

 

・背中の乾燥に悩んでいたときにググりで知った「手のひらが届きづらい背中の上の方には手の甲を使って塗るといい」という知恵、本当に感謝している。

 

・でも冬は好きだ。寒いと頭が冴え冴えするような気がしていくらでも歩きたくなる。実際寒くなってきてからはひたすら散歩している。

 

・衣替えのとき、着なかった夏服が多くてしんみりした。一軍(誰かと会うとき用)の出番、無かったねえ。

 

キリンジは季節の歌が多い気がする。中でも冬の歌は好きなのが多くて、「まぶしがりや」や「フェイバリット」、「小さなおとなたち」もそうだしクリスマス前には「かどわかされて」や「千年期末に降る雪は」、お正月辺りののどかさは兄名義の「冬来たりなば」、どれもその時期の空気が伝わってくるような歌。ピンと張りつめた冬の冷たい空気の中をのんびり歩くのが好きだ、特に夜。夜の散歩がしたいなあ。冬の夜ならどこまでも歩いていけるような気がするのに。