祈りにも似て

生きることは深爪の痛みに似ています

鬱のときの呼吸の仕方

キリンジ『Drifter』の歌詞には「たとえ鬱が夜更けに目覚めて 獣のように遅いかかろうとも」という一節がある。初めて聴いた時には衝撃で、耳がそのフレーズを捉えた瞬間あまりにびっくりしてスマホを慌てて引っ掴んでその部分だけ巻き戻して聴いたほどだった。穏やかなメロディに気を抜いていたら鬱の本質を突然言い当てられた驚きだった。鬱はひそかに潜伏していてある時突然目覚め、獣の激しさで襲いかかる。確かに目覚めは夜更けが多いが、とはいえ太陽の燦々と差す朝だろうが日曜の午後だろうが時を選ばない。別に思い当たるきっかけもないのに急降下する。予感のある時もあるがまったく予測がつかないで急に入ることもある。なんか身体が重いな、と思っていたらあっという間に沼の底に落ちているような。


抑うつ状態と言われてから約5年、その間に病院が変わったり診断が双極性障害に変わったり処方が調整されたりしてきたが、上に書いたような突然やってくる鬱に対しては避ける方法を見つけられずにいる。うまくやれば、波の上がり下がりを小さくすることは可能なような気はする。ただし今のように恒常的にストレスがかかっているような状況ではそれも難しい。


そんな訳で、鬱の波に襲われたときの、それもひどいひどい波のときの対処法の話をしたい。あくまで私の場合なので、個々人で色々あるんだろうな、と思いつつ。


私の場合はとにかく寝るしかない、それに尽きる。というか寝る以外に何もできないくらいに眠くなったらそれは鬱に入ったサインなので、逆説的に鬱に入ると寝ることしかできなくなる。とにかく水とスマホだけ持ちこんでこんこんと寝る。薬だけは忘れないで飲める場所に置いておくこと。
起きた時、少し頭が回復してきていると「日がな一日寝ることしかできないなんてなんて非生産的で無価値な人間なんだろう」みたいな思いに取り憑かれて眠って過ぎた今日一日を猛烈に後悔することがあるが、これは鬱の症状であるので引っ張られてはいけない。生き延びるために眠っているとよくよく覚えておいた方がいい。客観的に見てどれだけ怠惰であっても、眠りに逃げ込んでいるときそれはある種前向きな生き延びる意思である。もはや身体が動かないだけなのだとしてもそれも防御反応だ。自罰感も希死念慮も症状であり、けれど自分の気持ちのように思わせられるから厄介だ。どこまでが自分でどこからが病気の見せるものかなんて腑分けはできない。だからこそ、気分なんて曖昧なものに身を任せるより、いっそ眠ってしまった方がいいのだ。どうせいくらだって眠れるのだから。
寝て、寝て、もう寝られないとなって布団を出られるようになったらようやく少しだけ出口が見えてきたかもしれない。そこからがまた大変で、荒野と化した生活をできるところから一つ一つ再建しなければならない。布団だけで暮らし服薬とお手洗いだけで精一杯だったところから、お風呂に入ったり簡単でも食べるものを作ったり、片付けをしたり。一つ一つを取り戻すのはとてもしんどいことだ。それでもお風呂に入ればさっぱりするし、物を食べればおいしく感じる。正の感情が動くこと、それを感じ取ること、感じ取ることができていると認識すること。ここまで来てようやく布団を出て生活に戻ることができ始める。
でもまたそのうち次の大波が来る。来なければいいし、来ないようにしてみてはいるけれど、やっぱり来る。私は、というか私の身体も心も強くはなくて、自分ではどうしようもないところであれこれ揺らぐ。
今は波の合間で、幸いにも息継ぎができている。だからこんな文章を書いて、次に備えようとしている。急に寒くなって、多分またそろそろ息ができなくなる。そうしたらまた眠るしかない。眠っている間は、不思議に息ができているらしい。

「女(じぶん)の体をゆるすまで」を読んで

ぺス山ポピー『女(じぶん)の体をゆるすまで』*1を読んで思ったことを書きます。単行本が一昨日届いたので。後にも書くように自分個人の読書体験の話なので、あまり感想や紹介の体は為さないです。

2017年の9月、つまり今から4年前、私はこのブログに以下のような文章を書いていた。

性自認に違和はない。自分が女性であることを認めている。それとは別の面で、自分に女らしさを求めないでほしいと思っている。
「女らしさ」にほんとうの意味でよいイメージを抱けていないのかもしれない、と考えて、わたしはわたしに内面化されたミソジニーの存在を認めざるを得なくなってしまった。普段どれだけ美しい理想を語っていても、心の底では女性としての自分を蔑み、嫌悪している、ことに気づいてしまった。」

抵抗 - 祈りにも似て

私はこの、自分の中にある、自分に向けているから表面化しないだけではっきりと存在する差別意識を、4年経った今でもきっぱり捨てきれたようには思わない。自分の身体が嫌いな気持ちと女性としての自分が嫌いな気持ち、その先にあるのはやはり女そのものへの嫌悪なのではないかと思わずにいられない。自分だけに向けているからいいのかといえば、決してそういう話ではない。

『女(じぶん)の体をゆるすまで』は、性別違和を持つ作者・ぺス山ポピーさんが、自身の受けたセクシュアルハラスメントとそれによる後遺症、それらから「助かる」ために、自身が被害にあったセクハラについて、またこどもの頃からあった性別への違和感とそれに関わる友人とのエピソード、セクハラ加害者との対話、などを漫画にしていくこと、また別面では様々な専門家に頼ること、を通して、徐々に自身を「ゆるすまで」を描いた作品だ。作中、過去を参照しながらも時間は徐々に進む。時が進むにつれ社会も作者自身も変化していく。絡まり合った「女の体」への認識を解く過程として、また変化の記録として、色々な読み方をすることができる。私は、私の救われた話としてこれを書いているので、あまりちゃんとした感想にはならないと思う。読む人ごとに違う印象になると思うので、気になっている方はぜひ読んでほしいと前置きしておく。

私は性自認に疑いを持ったことがない。自分が女であることを認めている。つまり作中ぺス山さんが使用している呼称としての、性別違和やトランスジェンダーXジェンダーといったものには当てはまらない。
それでも私はこの作品に救われたと思った。『女(じぶん)の体をゆるすまで』というタイトル、また例えば「私は自分の体をとても憎んでいて、人間関係もうまくいかない。つまり、私は自分とも他人ともうまくいっていないんです。だから、仲良くしたい」という台詞。自分の体を嫌悪している、けれど、仲良くしたい、ゆるしたい、そういう気持ちをこんなにきちんと表してくれた作品を私は他に知らない。

ぺス山さんの前作『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』本編*2及び番外編*3 (以下『ボコ恋』)でも、同じテーマが今作とは別の経験を通して描かれている部分がある。
ぺス山さんは作中ある男の人と付き合う。最近のインタビュー*4では、「でもその相手から、めちゃくちゃ差別されました。それで初めて『あ、好きな相手でも差別するんだ』と思った。」と、「差別」という言葉を使ってその時二人の間で起きていたことを語っている。
その「差別」とは、ぺス山さんに自身の理想とする女性の規範、とりわけ「女」はこういうものだという蔑視から成り立つ女らしさの規範を押し付ける、という類のもので、詳しくは『ボコ恋』番外編に描かれている。付き合っていた当時のぺス山さんはそうした彼の接し方に対し「『どうせ女』なんだし仕方ない こうされて当たり前なのだ」と自身で納得していた、という。そして後に、この「どうせ女」という考えについて、「私自身が強烈に女性を差別していたのではないだろうか だからこそ彼の態度に納得してた」と振り返る。「自分の身体に違和があったとしても 自分の身体を差別していいわけじゃない」とも。

ぺス山さんは、物心ついた時からずっと続く性別違和があり、さらにセクハラによって大きな被害を受けている。作中繰り返される内心の叫びとしての「なんで女に生まれてきた」という言葉のように、自身の性別と体を嫌悪するに至って当然といえるだけの経験をしてきている。
一方で『ボコ恋』番外編では自分自身の中にある女性への差別意識にはっきりと言及している。本作でもその問題意識は変わっていない。ぺス山さんは被害者で、それはどうあっても揺るがされない事実なのだが、一方で自身の加害者性についても強く意識を向けている。そして本作でぺス山さんは、漫画を描くという行為によって、担当編集の方やこれまで関わってきた人たちとの対話を重ねていくという手法を取っている。実際作中に、誰に対してもセクハラのことを話せなかったぺス山さんが、漫画なら表現できる、という実感を得る印象的なシーンがある。ぺス山さんにとって漫画は語りなのだと思った。自身の経験の語り。

これは私の話になるが、自分に向けた憎悪や差別は、表に出ることが少ないために自分で気が付きにくい。人間関係のなか、ふとした拍子に相手を傷つけてそこにある自分の認知の歪みのようなものに気付く、というのは、あくまで誰かと深く関わっていく中で起こることだ。自分に対しての憎悪は誰に指摘を受けるでもなくただずっと自分の中にあって、しかも原因は自分がそう生まれたことにあると思っているからどうにもならない。どうにもならないことを他人に話しても理解も解決も得られないだろうと思っているから黙り続ける。そうして、自分のような人なんてこの世にいないんじゃないか、そんな思い上がりのようなことすら考える。でも、本当は誰かと話したい。そうしたぐるぐるを経て、2017年の私は冒頭のようなブログをわざわざ書き、自分の現在を言葉にしたのだと思う。自分の中にある、自身の身体への嫌悪と差別意識との結びつきという、自分固有の経験が結局何なのか、確かめたかったように思う。

だからこそ、ぺス山さんが『ボコ恋』そして『女(じぶん)の体をゆるすまで』を描いてくれたことは、私にとって救いとなった。ぺス山さんの個人的な経験から、私はいくつもの声を聞くことができる。その声に私は安堵する。似ているとか重なるとか、共感とは少し違う気がする。ただ境遇は違うけれども、自分は一人ではないと思うのだ。ぺス山さんの作品を読むまでは、私はこの問題に関してそんなふうに思ったことは無かった。
自分が自分をゆるす日が来るのか、まだ私には分からない。私の問題は私の問題としてあるから。いまは、この作品が届くべき人の所へ届いてほしいと思う。

*1:ぺス山ポピー『女(じぶん)の体をゆるすまで』上・下、小学館、2021年 https://yawaspi.com/yurusumade/
※タイトルは「女」と書いて「じぶん」と読むルビが振られています

*2:ぺス山ポピー『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』全二巻、新潮社、2018年

*3:『ボコ恋』番外編については単行本未収録、連載していたくらげバンチ公式サイト(https://kuragebunch.com/episode/10834108156703394636)で読むことができます

*4:

「愛する誰かがいなきゃ救われないなんて、そんな残酷な話がありますか」 セクハラ事件からジェンダーの揺らぎに向き合う漫画『女の体をゆるすまで』作者インタビュー(1/3 ページ) - ねとらぼ

私の話

体験と伝聞からなる不正確な、つまり極個人的な文章であることを初めに書いておく。そう言い訳しておかなければ、当事者の数だけ違う経験を持つような話題について自分のことを書いていいのかわからなくて、結局書かないで終わりそうだから。実際、何度も書いては挫折してきた話だ。どうやっても不格好な、「私の話」にしかならない。

両親に障害があるというのは、正確に言うと身体障害があるというのはどの程度特殊な経験なのだろうか。それは私にどの程度影響を及ぼしているだろうか。自分で見積もるのは難しい。影響は、人との関わりのなか、大きく言えば社会と自分との関わりのなかでしか発見されない。そして障害者をめぐる言説にポジティブなものが多いとはとても言えない社会の中で、自分の根にあるものを再確認するときというのは大概気分の悪さとセットである。

父は四肢に緊張が不随意に出てしまうタイプで、歩き方がギクシャクしていたり急に背中に力が入ってしまったりする。母は左肘から下が動かない。とはいえ両親に障害があることでものすごく困ったという経験はこれまでのところ無い。それは、うちの親が自分の身の回りのことは自分でできる人たちだったので私がヤングケアラーと呼ばれる役割を果たす必要がなかったこと、両方の祖父母が必要であれば積極的に手助けをしていてくれたこと、目に見えて差別的な態度を投げてくるようなひとが大人にしろこどもにしろ殆ど身の周りにいなかったこと、そうしたいくつもの幸運がたまたま重なったからであって、だから逆に言えば私には語るべき経験など無いと思ってきた。障害のある身体で子育てしてきた私の親はともかくとして、私の方は大した苦労もしていないので。

大した苦労もしていない割に、この経験について書けば中身が無くても中身があるようなものが書けてしまいそうでそれも嫌だった。「両親に障害がある」とはそれだけで特殊なパッケージで、そこに自動で付いてくる「親を手伝ういい子」という見方に違和感を覚えるようになったのはいつ頃からだろうか。物心ついていないときからずっと地続きの話だから、自分でもどこが変化のタイミングだったか、というようなことをもううまく思い出せない。ただなんとなく、「よく手伝ってえらい」と言われれば「そういうものだろうか」とぼんやりと思い、「女の子産んでおいてよかったわね」(信じられない感覚だがこれを母に言う人は複数人いた)と言われると「男の子だったら手伝わないんだろうか」と思ったりした。まだ構造とか、言葉とか、そこまで考えないで過ごしていたこどものころの感覚。

小学生のころまでは、両親の事情を周囲に隠すことは特になかった。というよりクラス替えがある度に、授業参観などで片手が麻痺している母を見た同級生から「おまえのかーちゃんの手どうしたの!? あれなに!?」と聞かれ、毎回自分が聞いていた通りに「小さい頃高い熱出してそしたら手が固まっちゃったんだって」と答え、すると聞いてきたほうも悪気はなく好奇心だけなので「まじかよすっげー」みたいな反応をして、それで終わりだった。その頃はお互いにその程度のものだったから、嫌な思いもしたことはなく、私は両親の障害という事情は多少珍しくとも隠すようなことではないと思っていた。

中学生になって、あまり話したことのない同級生二人からある日突然「お父さん障害者なんだって?」と聞かれた。感覚が小学生のころから変わらないままだった私は(母もそうだけど)と思いながら、肯定した。二人は顔を見合わせてなにか面白そうに笑いながら、「この間お父さんあのお店の辺りで見たよ」と言って、歩き方こんなふうだったよ、とくねくねした身振りをして見せ、そのあとで父が店の前で奇行をしていた、と(具体的には言葉にしたくない、とにかくいわゆる「奇行」をしていたと言いたくて懸命に考えた、というような内容だった)言って、そこまで言うとこらえきれず笑いだして逃げるように走り去ってしまった。

その体験をどう捉えたらいいのか、こうして思い返して言葉にできるのはもう10年以上経っているからで、言われた後はそれこそ2年くらい、そもそも記憶に蓋をしてなるべく無かったこととして過ごしていたと思う。でもそのなかでうっすらと、彼女たちが「身体障害」と「知的障害」と「精神障害」を全部「障害者」として一緒くたに考えていたからあのような発言になったのだろう、ということは、当時の自分の知識と照らし合わせ理解した。彼女たちはおそらく父に会ったことは無いかあっても見かけた程度で、なにか別のルートで私の父の障害を知り、なにそれ面白いじゃん、となってちょっとからかってみた、ということなのだと思う。そして、彼女たちのなかにある障害者像というのが私に語ってみせたようなものだったのだろう。

彼女たちにそう言い逃げされて、何を言われたんだ今、というフリーズの後、中学生当時の私が初めに思ったのは、正直なところ「うちのお父さんはそんな馬鹿じゃない」だった。父は実際、障害のせいで咄嗟の発語や筆記がうまくいかず、そのせいで内面まで低く見積もられることが多かった(余談だが、数年前の選挙時に乱れた筆致での投票券の写真を載せ、こんな文字書くやつ日本人じゃないから不正投票だ、という主張をするツイートを見かけたとき私の脳裏によぎったのはふだんの振り絞るようにして字を書く父の姿だった)。しかし家族として過ごしてみれば、うちで一番頭が良くて物知りなのは父であったし私は父のそう言った側面を尊敬していた。だからなによりもまず、父の知的能力を馬鹿にされたということがとても悔しかった。そのあとで、彼女たちはもしかして障害にそれぞれ種類があることを知らないのか、と思った。次に、障害者なら何を言ってもいいと思ってああいう発言をしたのか、ほんのからかいの冗談に無知が重なりああなったのか、と納得がいった。それまでは正直、あるはずもないエピソードをなぜ私に言ってきたのか意図が分からなかったので、少なくとも理由が分かって混乱は落ち着いた。その時はただ自分を理不尽の被害者としか捉えていなかった。

この騒動を経て私は、障害者というだけでひどい言葉を投げられること、自分がそれにとても耐えられないことを知った。それまでは本当に温室にいたのだ。母が幼い頃も大人になってからも差別に苦しんだことを話には聞いていたが、自分の大切な人に対し突然侮辱をされたときの心臓に冷や水を掛けられたみたいな思いを実際に経験して初めて思い知るものがあった。結果的に私はものすごく警戒心が強くなった。誰がそういうことをしてくるか分からないから両親のことは隠し通そうと。

高校で出来た友人は本当に素敵な子たちで、私は時折、この子たちなら分かってくれるんじゃないか、聞いてほしい、と思った。でも結局誰にも言わなかった。
大学では、そうした事象に関心の高い友人を得て、差別をしないことをきちんと知識として学び考える人がいるのか、と思った。そうしたほんの2,3人には家のことを話した。話してみれば後の会話はそれまでよりスムーズになった。家族の話を多々するくらい親しい間柄で、それまではその家族について根幹の部分を誤魔化していたのだから当然だ。
一方で、それ以外の人には世間話のなかで、必要があれば「うちの親は身体が弱くて」というようなことを言って誤魔化していた。嘘だと分かっていて言うのだから言う度舌の上がざらざらするようだった。とはいえ誰彼構わず本当のことを言うことはとてもできなかった。というのも、普段の言動からは全く想像ができないひとが不意に障害者に対しては差別的なジョークを言ったりすることが何度もあったからだ。その度肝が冷えた。この分野に関しては安易に人を信用してはならないのだった。障害者に関するものは当事者やその近くにいる私のような人間がすぐ傍にいるとはまったく思わないで気軽に口にするひとも多いらしい。でも場に合わせて笑う自分も同罪だと思った。明らかに自分のバックボーンを裏切っていた。とはいえその場で自分の事情を明らかにする勇気もなかった。言っているほうに悪気はないのだ。中学生の時と同じで。

大学生になりさすがに物心も付き始めて考えるに、私だって差別につながる気持ちは持っていたのだ。中学生の時私は「父はそんな馬鹿じゃない」と悔しくて泣いたが、その時の私は父が「身体障害者」であることに、他の障害種別と比べて優越を少しでも覚えなかったか?「頭は普通なのに」と思うことの暴力性に気付いていなかった。当時の自分にそこまで求めても、とも思うが、とはいえだ。私も地続きの所にいる、ことを忘れたら終わる。当事者に近いからって差別しないわけじゃない。さらに言えば当事者同士でも差別感情やヒエラルキー意識のあることも、両親を通して知った障害者同士の人間関係の一側面だった。

同じく中学生のころ、ふと自分の結婚について考えてみて、あれ、と思った。私ってふつうの結婚できるのかな、と。きょうだいに障害者がいることが分かってまとまりかけていた結婚が破談になった、という話、それもまた、両親を通して聞いていた、障害者を取りまく状況の一つだった。そこからいけば、私も結婚は難しいのではないか。そもそも両親のことを知って相手がそれを受け入れてくれるか、の裏返しで私だって両親を受け入れない人と一緒になることはできないだろう。

それともう一つ気にかかることがあった。私がこどもを産んだら障害はこどもに遺伝するのか。これに関してはいくら考えても自分では答えが出ず母に尋ねた。母は、自分たちの障害は後天的なものだから遺伝はしない、と答えた。私はほっとして、ほっとしたことに自分でひどくショックを受けた。普段から両親、ひいては障害者への差別なんて絶対許さない、というような気持でいるのにその私は健常な子供を産むことを望み障害の遺伝を恐れるのか。この自己矛盾は当時の自分にとってとても利己的で、醜悪なものに思えた。母に、変なことを聞いてごめんなさい、障害が駄目とかそういうつもりではない、というような、混乱した内面のままの言葉を発したら、母は「誰だって自分の子には健康で生まれてほしいに決まっているんだから気にすることは無い」となんでもないことのように答えてくれて、それが少し救いになった。

けれど根本的にはその時感じたものは解決していない。自分の中にもある差別。自分の子を望むときに健康を願う気持ちと、では自分はそうでない子を愛せないのか、という恐怖のような気持ち。今のところ子を持つ予定はないがそれとは全く別に、考えずにはいられない。「よい」ものを望む気持ちは、きっとそのほうがこの社会を生きてゆきやすいからで、この幸せを願うなら当然で、否定されるべき気持ちでは全くない。むしろ、疑われなければならないのは「よい」の基準と「よい」でないと生きづらい世の中の方だ。けれど現実には、世の中はもし変えられるとしても、ゆっくりとしか変わらない。

障害者を親に持つ人、というのは(私の)目に見えていないだけで私の他にももっといるはずで、ここで例に挙げることが適切か分からないけれど、「CODA」であるとか「きょうだい児」という言葉を見ると、ふと「私達は何だろう」と思う。名前がすべてではないし、似た境遇どうしで話をしてみたとして経験として重なる部分ばかりじゃないだろうけど、でも時々思う。

冒頭に書いた、「そして障害者をめぐる言説にポジティブなものが多いとはとても言えない社会の中で、自分の根にあるものを再確認するときというのは大概気分の悪さとセットである。」という部分。インターネット上では障害者に対して、「存在するべきでない」に等しい言葉を見ることも稀ではない。ネットでは匿名で人の本音が露出するというのなら、それも本音なのだろうか。本音だとして、もう存在する人たちはどうしたらいいのだろう。存在する人たちから生まれた私は?「生まれないほうがよかった」という言葉が届いてしまう位置にいる私はどうしたらいいのか。

固有の経験として、自分のアイデンティティに無視できないレベルであるものを、私は今のところ妹としか共有できない。他人からすれば大した話ではないけれど、私だって四六時中こんなこと考えてるわけではないけれど、でも、無しにはできない話なのだ。今だってまだ答えは出ないし混乱している。

 

国立市公民館人権講座「どうして、私たちは見た目で判断してしまうのか」3回目 感想

国立市人権講座「どうして、私たちは見た目で判断してしまうのか」、講師は和歌山大学西倉実季さん。今日午後、オンライン受講してきました。全3回の最終回、しかもいつもより時間が長いし最後のほうにはワークショップもあるということで結構緊張したのですが、始まってからはあっという間でした、面白かった!

(※個人的に印象に残った部分のまとめなので、全体のきちんとした要約などでは全くありません。書き起こしも殴り書きのメモから復元しているので細かい言い回しなど正確ではありません。一応、講義で示されたことを先に書き、→で自分なりの解釈というか、かみ砕きを試みています。何か問題などあればぜひご指摘ください) 

ルッキズムを巡っては、「何をどう問題にするか」の合意がない状態。そもそもルッキズムをテーマとした研究は国内でまだほぼ行われておらず、研究分野として始まりの発展途上。ゆえに、今回の全3回の講座内容も、各回の内容や解釈が完全に重なったり一致することはないし、聴講者のほうでそうさせることもない。そういう分野の話であることを念頭に、ぜひ、話のなかで自分にとって響いたことを持ち帰って各人の人間関係などで使ってもらえれば、とのこと。
→これを講義の序盤で言われたので、聞く側として体勢を整えやすかった。実際全3回の講義は同じ立方体をいろいろな角度から見ているみたいに、聞いていての印象も違ったしもっと具体的には用語や概念の整理がややこしい部分もあった。それは、ルッキズム自体がいま混乱のなかにある概念で、ひとつひとつへの解き明かしは今後行われていく途上だからなのか、というすとんとした理解があった。また、市民講座という性質からなのか、全3回を通して「どうしたら私たちはもっと傷つけたり傷つけられたりせずに生きてゆけるか」というような、ギフトとしての知識を手渡されている感覚だった。

・「ルッキズム」と美の偏り、そして差別
ルッキズムとは学術研究において「外見にもとづく偏見・差別」などと定義される。ルッキズムでの偏見・差別のもととなる「外見」、もっといえば「美」は社会的構築物である。「美しい」とされる外見は多くの社会的カテゴリーと密接に関わっている(人種やジェンダー、年齢など)。そしてこの意味において、ルッキズムと他の差別は重なる。性差別、人種差別、年齢差別、障害差別 etc.
→ここが今回聞いていて一番興奮した。興奮のまま赤ペンで(自分の感想は赤でメモって区別していたので)書き殴ったことをそのまま書き写す。
「何が美しいとされるか、を社会が決めるなら、その社会にある差別を美の定義は映し出してしまう」
ルッキズムが他の差別を内包したまま具体的な差別を現実に現す(就業差別とか)なら、それは目に見えにくいかたちでの差別の固定になってずっと続いてしまうのでは」
「でもルッキズムが個人の問題にされてしまうなら、それ単体で批判したり規制したりするのが難しい。他の差別の隠れ蓑にされているのでは?」 

ルッキズムがもっとも顕著に現れるのは職場なのだそうだ。今回レジュメで紹介された事例も就業や職種選択に関するものが多かった。そこに先に挙げたような様々な差別が入りこむということは、経済格差や貧困、つまりマイノリティにとっての経済状況の悪化を意味するはずで、それが固定されてしまってはならない。そのはずなのに、外見は個人の問題だから、といって巧妙に、外見を用いて特定の属性の人々を優遇し、または排除する。

 ここにきて、ルッキズムは差別だ、という理屈が頭のなかで完全に繋がった。前2回の講義を通して保留にされてきた答え。ルッキズムは、意識/無意識を問わず、私たちの中にある「美」のイメージの偏りを通して、現実にある属性の人々を排除させる。これは差別だ。

 美しい人の「美」を見せてもらうこと。私がメイクによってより好きな自分に近づくこと。友達の新しい髪型を褒めること。こうした、見た目に関する何気ないひとつひとつはルッキズムではない。コミュニケーションには注意が必要とはいえ。ただ、美の観念を硬直させてアップデートせずにいるならば、私もそのうち加害者になるだろう。

第1回の長田さんの講義を思い出す。第3回の地点から思い返しても実践的だな、と思う。「美の再解釈を行うこと。いろいろな美にふれて、なにを美とするか、幅を広げ立体的に複雑に捉えていくようにすること」。それは実践的な訓練として意識していくべきこと。

・個人的な対処
ルッキズムは社会に厳然としてある。そして社会はすぐには変わらない。だから、おしゃれはルッキズム社会を生き延びていくための「処世術」のひとつ。処世術には限界もあって、見た目を変えたり気にしないようにしてもルッキズムは解決しないどころかむしろ現存の美規範への強化、加担とも思えるけれど、社会が変わるまでは変わらないままの社会を生きないといけない。長期的な視点で社会を変えようと考えることと、短期的に自分が処世すること。
ルッキズムにどう対処していくか、をいくつか挙げられていたなかで印象的だったのがここの部分。現実に生きる私達は、インフルエンサーじゃないわけだし、すぐには世の中を変えられない。そのなかで、変わらない世の中を生き延びないといけない。焦ってはいけない。そしてゆっくりとでも世の中を変えていかないといけない。「メイクやダイエットや整形はルッキズムの強化、加担である」というのは、このテーマについて考えるときについて回ることで、現在の美の規範にそぐう自分になりたいという願いは罪か?と思う人も中にはいるのだと思う。現在の美が好きでそうありたいっていう個人の好みや、好きよりもっと切実にその規範に沿うことで活路を見出したいって思いもあるはずで、そういうものによって私達は実際に生き延びうるのだから、否定なんてできない。

第1回の感想で、私はざっくりとこんなことを書いていた。
「『社会が変わるには時間がかかる』というようなことを長田さんは言っていたように思う、ので、クソなものはクソとしてクソだなって言いながら、ちゃんと自分のせいじゃないものまで背負わされないようにしないといけないし、その意味でも『ルッキズム』という言葉が生み出され、検討される意義はある。」
内容が呼応していると思う。個人では、できることに限りはあるけれど、考えて考えて、あとは逃げたりして、生き延びることなんだと思う。抑圧だらけの世の中を。

ルッキズムの作動のあり方を見極める
社会のなかでルッキズムがどのように現実にあらわされているか。メディアは狡猾に、耳障りの良い言葉で問題を隠す。
「その事象は誰を排除しているか」

以降は感想です。

第1回、セルフケアやおしゃれといった身近な「美容」をテーマに、「美」や「美意識」との付き合い方に関して実践的な方策を多く伝授された長田さんの講義。
第2回、社会学的枠組みでみた差別論から、ルッキズムは、つまり「見た目そのもの」への差別は存在するのではないか?と問いかけた上で、またも実践的な方策として「ずるい言葉」への向き合い方やずるさの見極め方をお炊き上げのなか教えてもらった森山さんの講義。
第3回、ルッキズムは確かに差別の問題であると学術的に展開し、見えていなかった多くのものを明らかにし、解消が難しくとも今後どのように付き合っていけばいいか針路を示してくれた西倉さんの講義。

全3回を通して、自分自身、被害者でも加害者でもあったし、今後だって成りうるということや、社会構造を見るようにしないと自分の話で終わってしまうこと、でも同時に自分が何より自分を大事にして生き延びなきゃ、みたいなことを考えていたような気がする。なるべく、いろんなものに美を見いだせるようになりたいな。それは、なんていうかあらゆるものをポジティブに受け止めよう!みたいな根暗の私にとって無理のあるアイディアではなくてもっとこう、他人の美を幅広く受け止められるようになりたい、みたいな。節操無しでも良い。そして、隠されているもの、無かったことにされているもの、そういうものに、できれば気が付きたい。そんな当面の目標。

あと、今回の企画は(講師の方も仰られていたが)ルッキズムという新しいテーマを全3回、しかもきちんと回ごとに話が深度を増して進むよう設計されており企画された方はすごい……と思っていたのですが、今回の講義の最後に公民館の担当の方がされていた挨拶がはからずも今回の企画意図の話で、その言葉がとても好きだったので、不正確な走り書きからで恐縮ですが、引用させてもらって終わりたいと思います。たぶん文意はあっていると思う……。とても良い締めだったんです。 

「今回の人権講座はルッキズムという身近な差別と向き合うことで、社会はすぐに変わらなくとも、自分も差別に加担しうるということや、でも他人の痛みに手を差し伸べられるということを考えていただきたく企画しました。また、身近なテーマからさらに差別について考えてゆくことで、さらに他の苦しみへと気付くこともできるのではないでしょうか」

国立市人権講座 2回目

国立市人権講座「どうして、私たちは見た目で判断してしまうのか ″綺麗″や″かっこいい″との向き合い方」第2回、「あなたを閉じこめる『ずるい言葉』〜自分らしく生きていく強さとは〜』、講師は早稲田大学文学学術院の森山至貴さん。本日オンライン受講してきました。

全3回のこの講座、前回の長田さんの講座で提示された「ルッキズム」という考え方について、今回は「社会学的な枠組みで見た差別論から考えるルッキズム」「ルッキズムは『差別』なのか」と、社会学的アプローチでさらに進めていくお話。さらにそこから、次回の西倉さんの講義での「見た目で判断することは差別の問題である」というテーマに繋がっていくらしい。3回通しての構成がはっきりしてきた。どこへ行き着くのか、楽しみ。

※前回同様、個人用の、印象に残った部分のまとめなので、レジュメや内容のまとめにはなっていないです。書き起こしも殴り書きメモからの復元なので細かい言い回しなど正確ではありません。何かあればご指摘ください。

ルッキズムは「差別」であるのか。
差別の社会学的定義に照らし合わせたとき、「差別である」と確かに断言することが難しいのではないか。それは、「見た目」が個人の好みの問題とされるから。間接差別の考え方を導入することで「見た目」と「差別」がつながりはするが、それでも「見た目」が直接差別されたことにはならない。しかし、本当にそうだろうか?「見た目」そのものへの差別は本当に存在しないのか?
→見る側/見られる側、ジャッジする側/ジャッジされる側、選ぶ側/選ばれる側。本来は相互に立場が入れ替わりながら行われるのが自然だと思うのだけど、そうではなく、(特に前者に男性を、後者に女性を単純に当てはめた言説を多く見るなかで)立場が固定されると後者は逃げ場がなく、前者の気にいる見た目を選ぶ以外になくなってしまう。そして、選んだ見た目の責任は後者にあるとされる。
男性と女性以外でも(複層的でもあるだろうが)、就活での企業と就活生、学校での教師と生徒、みたいに相手にある程度権限があると固定されやすそうかな。しかし、ならばこそなぜこんなに男性が選ぶ側に立ちやすい(と私が実感している)のだろうか。うーん。
 

・講義中何度も言われていたのは、「モテ」や「愛され」ではなく、本来はマッチングの話なのだということ。相性や巡り合わせで決まるはずの出会いを、寡多を競い「モテる」人のほうがなにか資質に優れている、と捉えること自体がおかしい。
→モテと非モテに関わる言説はメディア、創作、インターネット、どこでも多く見るけれど、思春期にかけて刷り込まれる「モテる人、愛される人の方が人間として優れている」という観念はすごくつらいものだと思う。かといって、誰からも選ばれないけど自分は自分が好き、というような自尊心を健全に育めるかといわれると、それもまた難しい気もする。恋愛で選ばれる、という目標設定それ自体が間違いとは思わないけど、それ以外の方法でもアゲアゲになれるようにしておいた方がよさそう。
 

・褒められたいところと褒められたくないところは自由なはずなのに、容姿を褒められるように努力しろという強制がある。
→これは今回聞いたなかでも結構印象に残った部分。
見た目に気を使う自由があるなら、気を使わない自由も(清潔感などはまた別として)あるはずなのだけど、後者はなかなか無視されやすい。ナチュラルスタイルだね、みたいな別のおしゃれの文脈に回収されたりもする。おしゃれとは違うところにいたいという気持ちはなかなか尊重されることがない。

少し外れた話になるけど、例えば私がボーイッシュな格好を好んでいたとして、それはボーイッシュスタイルがそのとき流行っていたから、とは限らない。私が女性らしい服装を苦手とするからかもしれない。
例えば私が身体のラインを隠す服を好んでいたとして、それが今流行りのルーズなシルエットだから、ではないかもしれない。本当に、身体のラインを隠したいからかもしれない。
自分の元々の身体とどう付き合うかの微妙なやりとりが、自分自身のなかで行われている場合というのがあって、それは他人から見たら知らんがな、なのも分かるんだけど、自分のなかでは切実な部分がある。それを全部おしゃれの文脈で回収されると、違うんだけどなーと思う。もっというと、流行っている≒かわいい≒モテる、みたいな感じの図式がおしゃれの文脈に含まれているのを感じるからキツイのかも。このあたり、まだ自分でもうまく整理できていない。他人に理解してもらうには込み入り過ぎているし。 

今回、質疑応答がすごく盛り上がっていて、おお〜インタラクティブ〜と思った。会場、オンラインどちらでも、講師の方がバシバシ答えるけれど会話は丁寧に運ぶ感じだったので、講師と質問者の間でのやりとりが何往復も続き、そのおかげでひとつの質問から発展した気付きが多かった。また受講者同士の情報共有や、共感の意みたいなものも生まれやすく、また表出されやすかった。良い場でした。


◉悪口に対してその場では言い返せなかった、というモヤモヤについて
・会場にいた方からの提言(覚え書き):自分は、嫌なことを言われたら後からでも時間を見つけて相手に「あれは嫌だった」と伝える様にしている。その際、相手がそれによって考えを変える、といったことは相手次第なので過度に期待しない。自分の気持ちを伝える、という方に重点を置く。
→この発言、自分の中でかなりなるほど!となった。会場にいた方が場の空気に呼応して出してくれた発言で、後半部の「相手に期待しない」のところが特に、実践的だな、と。おそらく本当に普段の人間関係のなかで得られたものを提案して下さったのでは。

・人の悪口にその場で言い返せない、という悩みは多く聞く。その場で言い返せないということは、それだけ傷ついている、ということではないか。
→これも、かなりなるほど!だった。その場で言い返せなくてモヤモヤが残り続ける、というのは質疑応答でも、そして自分でも心当たりの多いパターン。特に見た目に関する話だと、講義内でも指摘されていたが、相手も見た目を直接あげつらうことはいけないと、そこは分かっているが故に、言われた側が一瞬「いま何言われた?」となるような、一見悪口とわからない様な形態で巧妙にこちらへ伝えられる悪意が多い。
そこで、言われた側が「その場で言い返せない自分が悪い」と悩むのではなく、「そもそも傷付けることを言う相手が悪いし、なにより自分は頭がフリーズするくらい傷ついた」と考えをくるっと変えてあげることは、すごく大切なアイディアじゃないかと思った。
そもそもショックを受けた人はそれを言葉にするのに時間がかかる場合もある。その場で言って反論ないから終わり、じゃなくてもっと言葉を待たなければいけない。まあ、待つつもりの人ならそんなことは言わないんだろうけど。
あと、これも質疑応答中に指摘があったけど、そもそも何か言われてショックを受けても言い返せない権力の構造のなかでそうした発言がなされたとしたら、それはハラスメント。

・言われて嫌なことにその場で言い返すのが難しいなら「え?」と何度か聞き返してみる、それだけでもいい
→正論と違い、理不尽な悪意ある物言いって、相手もそう自覚してるしロジックの後ろ盾があるわけではないから何回も繰り返して言えるものではない、と。即言い返せない勢にとっては、いざとなった時のお守り、あるいは護身用防具となりうる考え方ではないかと。

・上とも関連して、そもそも人の容姿を直接あげつらうような物言いはいくらなんでもだめでしょ、というようなモラルは多くの人がもっている。それでもなにか言いたい場合に、様々なレトリックが利用され、自分が悪者にならないような形で相手を傷付ける言葉が生み出される。これは「ずるい」。
→前回と今回で質疑応答を聞いていて、これは実感する。直接的でなく、嫌味や笑いに擬態して、相手を傷付ける言葉。前回の長田さんの講義と合わせて考えるなら、やはり、「自分で選んでいない」見た目に関して言われる言葉は、無防備でいるところにすごく刺さって抜けない治らない傷になってしまう。傷つける側にも、傷つく側にもなるべくならないように、それには考えることをやめちゃいけないな。

(講師の著書『あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』はこうした言葉への対処の仕方が根拠となる考え方とともに丁寧に書かれているので、それと合わせて考えるとさらにいいのかも)

・相手への批判を伝える際、オブラートに包むことも必要ではあるが、その場合、他のものまで批判対象に含まれていると思われかねない(「誤爆」と呼ばれてました)言葉選びはしない。
→他の質疑応答を聞いていても思ったこととして、講師の方にはおそらく、そのものずばりを批判しても大丈夫ならばその方がよいのだけど、という大前提があるように感じた。でも現実には、そんなの怖くてとても言えないとか、言ったとして言った方が不利益を被ったり、そもそも相手が怒り出して聞いてくれなかったり、色々ある。ありますよね……。その次善の策として「オブラート」などは登場するのかな。その場合でも、言葉をぼやかすことで他の属性へとばっちりの批判が向くのは違う、と。

※例えとして正しいか分からないけど、例えば、「あの人の苦労知らずみたいなとこが嫌」(そもそもこの指摘がなにって話だけど)と言いたいとして、仲間内何人かでいるときに悪口モードで「あの人いかにも愛されて育ってます、家族仲良しですって感じだよね〜」とか言ったとする。そうすると、それに笑顔で応じている仲間達の中でも(うちも家族は仲良しでそっち系の苦労はしたことないけどそう思われてるのかな……)と人知れず萎縮する人がいるかもしれない。これは「誤爆」にあたると思う。それよりは、苦労知らずでムカつくんじゃ!とはっきり言って、いやあなたが苦労してるのは凄く偉いけどだからって他人に向けるものじゃないんじゃ?みたいに誤解なく言葉で解きほぐせた方が多少良さそうな気がする。楽観的観測だけど。

◉「見る側/見られる側」の構造は崩せないのか、という質問に対して:
一般に、学生などと話していて一応のゴールとしてよく提示するのは、「今あなたは私をジャッジした」と相手に伝える、ということ。言葉を柔らかくしたりしてもいいけれど、相手にそのことを伝える意識だけ変えない。
多くの人は、「一方的にジャッジを下す」行為自体には罪悪感を持つため、ジャッジとわからない形でそれを行う。だからこそ、「今あなたがやったそれはジャッジです」と伝えるのが有効。
→まずこの質問が出たこと自体嬉しかった。あ〜それ聞きたいやつです!ってなった。ひとつひとつに悩み苦しむことと同時に、そこから一歩進んで、その苦しみの原因となってる構造を壊すこと、ひっくり返したりすることができないかって考えるのは、とても大切なことだと思っている。うまく言えないけど。それに対する答えも、実践的だと思った。これならできるかもしれない、と思えた。相手の罪悪感を引き出すこと。

以下は感想。
見た目に関する悪口を考えていて思うのだけど、相手も自分のやっていることに対して多少「悪」の意識はあって、でもそれを色々な理由付けで(相手のために言ってるんだ、とかこれくらい冗談で済むはず、とか)意識しない様にしていたり、あるいはその人にならそういうことを言っていいと思っていたり、なんらかそういう、罪悪感を超えさせたり無にさせるからくりがあるっぽい。でも、言われた方は例えば何年何十年経ってもそれを思い出したりするくらいの傷になることもある(私にもある)。明らかに、言う側と言われる側の背負うものが違いすぎる。この非対称さはおかしい。


講義中、「私のこの顔、このルックスで生きていくというようなことに対しての否定は見た目そのものへの差別じゃないか?」という問題提起があった。
見た目は本当に、その人がその人でいるためのアイデンティティの核みたいなところにある。一方で、ある種無防備に外界に晒された、内面の一番上皮みたいな感じもする。他人から見た自分のイメージを初めに形作るのは見た目だし、通りすがりの人からすら容易にジャッジされうる。だけどそこを批判されるとときに自分の内面の一番深いところまで切られたみたいな気持ちにもなる。弱点なのに誰からも簡単に攻撃される位置にあるので守りづらい。
前回の講義を聞いた時も自己決定のことを考えたけど、選べないからこそ必死に愛そうとしている自分の元々の見た目と、自分で選んで育ててきたセンスからなる装いと、どちらを否定されてもつらいのは当然のことだと思う。平気で流せるような日は来ない気がするし、来る必要も無い。
傷つけてしまったらきちんと謝ることと、傷つけられたら自分で手当てして相手にそれを伝えること、だろうか。当面は。


以上です。次回が本講座のもっとも核心なような感じがしていて、楽しみ。

 

国立市公民館人権講座『どうして私たちは見た目で判断してしまうのか』1回目 感想

国立市公民館で行われた、

〈人権講座〉『どうして私たちは見た目で判断してしまうのか』“綺麗”や“かっこいい”との向き合い方 

というのを受講してきました(オンラインです)。

第一回は講師 長田 杏奈さん(美容ライター)。

「美容とルッキズム 〜生きてるだけで美しい〜」という題がついていました。(配布資料より)


オンライン受講、会場の方も講師の方も色々やり方が違って手間も多いでしょうに、実施してくださってありがとうございます、と思いながらの参加でした。だって、家にいるだけで講師の長田さんのお話も、そこから質疑応答も、全部聞けるんだよ……!こういう場自体本当に久しぶりで、楽しかったです。


テーマが「ルッキズム」ということで、長田さんの柔らかい語り口、質疑応答の空気感や公民館の担当者さんのご対応含め、なんとかこの掴みづらさのあるテーマを引き寄せて、みんなで考えよう、そんな感じのする良い場だったと思います。質疑応答になって驚いたけど、年齢層も広かったような。参加するまでは、というか質疑応答になるまではオンラインだと他にどんな参加者がいるかわからないんで尚更そう思いました。

この講座、全3回なのですが、第1回の今回は見た目、美容、そうした比較的入りやすいところから始めていき、連続していって3回目には、気が付いたら遠くに来ていた!みたいにどっぷりはまるように構成されている気がします。そういう意味でも、長田さんの柔らかくゆるく、それでいて指摘すべき悪弊も今見えてる希望の兆しもちゃんと言う、みたいな、一緒に考えましょう、みたいな空気感の講義、とても楽しく聞くことができました。


なるべく内容やレジュメの写しにはならないように、質疑応答の詳細も避けるよう気を払いながら、感想など書いてみようと思います。(こういうの初めてなので、塩梅がわからない。問題があったら下げます!)

自分の書き殴りのメモをもとに書いているので、おそらく講師の方の言葉の書き起こしなどは全く正確ではないと思います……。


・「見た目問題」と「ルッキズム

前者と後者は似た位置にあるが違う言葉。前者を後者の意味で使うことは、「その言葉を生み出して問題提起に声を上げた人たちに対して、言葉を盗用することになる」という指摘には、本筋とは少し外れるけれどああなるほど、と思った。

同様のことは他の言葉でも起こっていると思う。「自分達は抑圧されている」「抑圧の構造のなかにいる」「踏みつけられている」と思っても、その状態を表す言葉がなければ声を上げられない。そうした切実な気持ちから生み出された言葉が、その切実さからは遠く離れた非当事者によって狡猾に意味をすり替えられて使われる事例。言葉を大切にしないやり方を見るたび、すべての地面が崩れるような気持ちになる。

(1/24 20:30 追記 読み返していて思ったのですが、分かりづらいかな?と思ったので。講座での指摘はあくまで「このふたつの似た言葉を同じ意味として使ってはならない」というものでした。狡猾に意味をすり替えられる事例……というのは、そこから連想された個人的な怒りの表明です。どちらにせよ、使う側に悪意なくとも盗用は起こりうるので注意が必要ですね)


・美の再解釈を行う

なにを美とするか、その幅を広げ、立体的に、複雑に捉えていくようにすること。

ここは、実践的訓練で培うことのできる分野でもあるというふうに話を聞いていて理解した。いわゆる「センス」「審美眼」だと生まれつきのもののように思えるが、そうではなく。


いろんな美しさが並び立つ、という状態については、卑近な例だが私はいろんなアイドルを節操なく好きになっているのでそのことを思った。

幼さの残る頃から大人になった今でも健全な美しさで笑顔が魅力のももクロ、際どい露出とパフォーマンスが色っぽいハロプロ、矛盾してるみたいだけど両方好き。強い見た目でこっちの美やファッションの概念の範疇をゴリゴリ広げてくるようなK-POPの作り込まれた世界観も大好き。違うけどみんな好き。


質疑応答でもあったけれど、「どちらを選ぶのが正しいのか迷っている」という問いに対して講師の長田さんが「むしろ揺れている状態の方が、無理にどちらに決めるものではないのでは」というように答えられていたが、それとも繋がるように思う。

美の多様性、というとき、どれかひとつを正道としたり、逆にそれにカウンターのものを置いたり、そういうものではないんだろう。

一つに決めてしまうとそれだけになってしまう。


・「真面目な人は自分のせいにしやすい」

これは講義中に何度も繰り返されていた。そうならないよう、適宜他人や社会のせいにしてもいいのだ、と。

私は、「自分を変えるほうが社会を変えるより楽」といったような意見にはあまり賛成できない(講義中長田さんがそう言われた訳ではないです、念のため)が、「社会が変わるには時間がかかる」(意訳だけどそのようなことを長田さんは言っていたように思う、たぶん…)ので、クソなものはクソとしてクソだなって言いながら、ちゃんと自分のせいじゃないものまで背負わないようにしないといけないというのはその通りだと思ったし、その意味でも「ルッキズム」という言葉が生み出され、検討される意義はある。


・自己決定について

話を聞きながら考えていたのは、自己決定の権利が当人の手の中にあるかどうか、が重要なんじゃないかということ。

講義中に、「他人に対して褒めているつもりでも傷付けているかもしれない、それを避けるため」として示された考え方がとても参考になった。あー、って声が出た。相手の外見を褒めるときには、一旦立ち止まってこう自省すべき、という提案。

「それは相手が選んだり、変えられることですか?」

例えば、肌の色、目の色、背の高さ、胸の大きさ。体型も、目に見えて痩せていたり太っていたりした場合、それは広い意味で、本人のコントロールがきかないものなのかもしれない。

ルッキズムに限らない。相手の自由にならない属性を理由に差別することは、この世にありふれているけど許しちゃいけない。

一方で、相手の選んだ見た目を褒めることは、即、相手を傷つけることにはつながりづらい(ここ、言葉を選ばれている感じがした。対人コミュニケーションで絶対は無いですしね)とも。


またアイドルの話で恐縮なのだけど、例えば今まで清純系だったアイドルが髪を染めたり、濃いメイクをしたり、セクシーな衣装を着たりすると、ファンの一部は本人に届く形で「前の方が良かった」みたいに否定のコメントをすることがある。よくある。

ファッションセンスというのは人それぞれだから、好きなアイドルの選んだ衣装やメイクや髪の色が、自分の好みと合わないことは十分あり得ることだ。好みではない格好が変に見えてしまうのも、仕方ないことだと思う。思うまでは自由。ただ、本人がその格好を選んでいるのなら、本人にわざわざ「その格好は嫌いだ、君に似合わない」と伝えるのは、私はあまり……、言葉が難しいけど、よろしくないように思う。

その逆で、本人が嫌だとインタビューなどで言っているにもかかわらず水着衣装のグラビアが行われるのも、受け入れ難い。

自分で選べているか、なのだと思っている。自分で選んだ格好、選べない強いられた格好。


見た目を整えることはルッキズムに加担することとは重ならない、という話もあった。

見た目を整える事は、セルフケアであり、自己表現。

スキンケアもそう。男性の美容もそう。

自分が心地よいほうを選んでいく。

ここに来て、「美容は自尊心の筋トレ」という長田さんの著書のタイトルに頭が行き着く。

自尊心は、自分のために自分の心地よいほうを、面倒でも何でもえいや!と選んでやっていく、そういうことの積み重ねで育まれ慈しまれていくものだと思うから。

他人ではなく、自分の評価軸で、ひとつひとつ選んで自分の見た目を作っていく。ああこれは、自己決定の話だなー、と思ったのは、そういう流れ。


ちなみに、一般には男性のほうがより今回言われているようなセルフケアからは遠いかもしれないな、と思った。それぞれ違うしんどさがあるのだろう、きっと。


ルッキズム、エイジズム、セクシズム

この三つに縛られているのが今の日本の女性なんじゃないか、と。

私自身、ルッキズム講座を受けようと思った理由に自分のセクシャリティを考えるきっかけになるかなと言う部分があった。

見られること、役割を求められること、選ばれる、求められる存在であったほうがいいと思われがちなこと。

女性としての自分と和解するにはなかなか難しい道のりだなあ、と思いつつ。


・経年変化するからこそ面白い

最後の方に出てきた、エイジズムと絡めてのこの話。とても納得。

古いドラマなど見ていて、女優さんが皺の刻まれた顔や手で台所のことをしているシーンなど見ていると、染み付いた時間の匂いみたいなものが感じられてとてもいいと思う。人間なのだから、綺麗なおばさん、綺麗なおばあさんの役ばかりじゃなくていいよね。

といって、自分も自分の加齢に対しては抗うのかもしれないけど。そのときになってみないとわからないな。


・最後に

質疑応答で「みんなが他人のためにメイクしているわけではない(自分のためのメイクもある)」、「自分なりの付き合い方、濃淡を探していくこと」と言われてそれが印象に残っている。

自分も、他人も、好きな格好を心いくまで楽しめる世に早くなるといいな。

世の中はそんなにすぐに変わらないけど少しずつは変わってくれるかもしれないから、諦めずやけにならず、自分の心地よい方法を探す。探しましょう。

早くギランギランのメイクして遊びに行きたいなあ。

 

日記 20.11/13

高齢の祖母と同居していることもあり四月頃からは意識して外出をかなり減らしている。だからというわけでもないが不思議と毎日やることをやっているうちに夜になっている。いろいろなことを思っている気はするけど、なにかひとつのまとまりにはなりきらない。それでというわけでもないけど、ブログもさぼっていた。だけど、ぼんやりした切れ端にメモするような事ごとでも、後から読み返したら自分にとってはおもしろいかもしれない。そういう最近の日記。

 

・今年の春以降世界は変わった、という淡い実感のまえに圧倒的なリアリティのある変化として私の前に立ちはだかっているのが、レジ袋の有料化。そもそも有料化された当時はほとんど買い物をしないでいたので、世間の人々が「あ~袋有料なんだっけ」ってあわあわしていたであろう波に乗り遅れてしまって、今更それをやっている。第一「お会計」というイベント自体社会性皆無の人間には緊張するものなのだ。疲れているときとか会計が面倒すぎて買い物できなかったりするものな。

 

 ・犬が少し前に体調を崩した。急なことでしかも日付が変わる頃のことだったから、かかりつけではなく夜間の救急受付の病院で診てもらった。そうしたら一晩入院になってしまって、そんなつもりでいなかったからショックが大きく、空っぽのクレートをぶん回しながら深夜の町を妹と走って帰った。ちょうど金曜の夜、終電が終わるころだったらしくて駅には時間の割にびっくりするくらい人がいた。自分がつらいときに華やいだ町に出ると乖離感がすごい、みたいなのよく聞くけど本当なんだな。 犬が入院している間、といっても半日と少しだけど、大人四人だけの家は驚くほど静かですべてスムーズだった。だけど犬がいて全部犬優先でめんどくさいいつものほうがずっといいな、と何日かして歩いているときにふいに思った。

 

・ひとりで歩いていたときに、前から柴犬が歩いてくるのが見えた。不躾にならない程度にわんわん観察させてもらったら、その柴ちゃんエリザベスカラーつけてて、飼い主さん一家らしい親子が一緒に歩いていた、お母さんらしき方が空のクレートを持っているところを見るともしかしたら、手術が終わってみんなで柴ちゃんを病院に迎えに行って、そしたら思ったより元気だったからクレートに入れるんじゃなく一緒に歩いて帰ろうってことになったのかな。 そんなじろじろ見たつもりは無いのだけど、ぱってそこまで考えて自分でびっくりした。この推測が当たっているかはさておいて、犬が家にくる前の自分は同じものを見てもそんなふうにあれこれは思わなかっただろうと思う。やっぱり、関心を持ったり、知ってることが増えると見え方も変わるな。

 

・祖父は庭いじりの好きな人であれこれやっていたみたいだけど、私含めほかの家族は全然で、祖父が寝たきりになってからずっとほったらかしにしていた。そうしたら知らないうちにどこからか運ばれてきたらしく竹が生え始めて、竹の繁殖力はやばいらしいよと妹が言っていたのが昨年の夏辺りか、うかうかしていて今年になったらもうすっかり茂ってしまった。さすがに庭師さんを頼んだ。母から聞いた話だが、その庭師さんが最初に見積もりに来たときに、荒れ果てたうちの庭を見て回って、「でもこの庭を造ったひとは本当に園芸が好きだったんですね、いろいろ考えて植えてある」と言ったそうだ。祖父は本当に園芸が好きだったらしい、ということを今になって知る。見る人が見れば伝わるもの、私達が見過ごし続けていたもの。

 

・庭師さんが来て、作業のついでに庭の柿の木から綺麗な実を十数個ほどもいでくれた。たぶん、ここ十年くらいは高いところに上ってとれる人もいなくて成るままにしていたんだと思う。家族の誰も食べた記憶がなかった。ビニール袋にいっぱいの柿の実を前にしばしみんなで黙り込んだ。誰も食べたことがないから正直ちょっと怪しい感じがしてしまう。すごい渋かったらどうする?そもそも渋いってどんなん? 実際には、食べたらおいしかった。ほんのり甘くてそこそこ瑞々しかった。だれもなにもしてないのに自然に成ったものだと考えたら十分すぎるほどおいしい。不思議な感じだ。

 

・家族四人とも果物をたくさん食べるほうではないので、袋いっぱいの柿はありがたいけど多すぎる。遠方に住む母方の祖母に電話して聞いてみたら欲しい欲しい、と言う。祖母と祖父は二人暮らしで食も細くなってきているから、ものをあげるときには何でも少な目がいいと言われるのだけど、今回に関してはいくつでもくれるだけもらう、むしろあなた達が食べるぶんは足りるの?悪いね、いいのそんなにもらって、とそういう調子だった。うちとしてはたくさん引き取ってくれると助かるので、お互いに思う柿の価値が微妙にずれているな、と思った。果物好きの友人が言うには、最近売られているのは甘くて柔らかな柿が多いから、家でとれたような固いものは貴重なんだとか。ここでも、知る知らないによる見え方の違いがある、と思った。

 

・「庭でとれた柿だよ」と言って小さく切った数欠を一階に暮らす祖母に出したら、皆は食べたの?食べて?とこちらに勧めて自分は食べようとしない。私がいくつか食べながら勧めたが結局ひとつだけしか食べていなかったので、もしかしたら本当に祖母は柿は好きではないのかもしれない。 ・祖母は嫌いなものは何も言わず残す。何も言わないのでなかなか気づけない。あるときふと、毎回トマト残ってるなーと思って「もしかしてトマト嫌い?」と聞いてみて初めて判明した、とかそれくらい。もうずっと食事の支度もヘルパーさんにお願いしているけれど、このタイプだと好き嫌いの把握が難しいだろうな、と思う。嫌いなものを出すと怒って食べなかった祖父と、どちらが楽と言うこともないだろうけど。

 

・「母親になって長らく家族の好みに合わせた食事を作り続けていくと母親は自分の好きな料理がなんだったか思い出せなくなる」というようなツイートを見てこわ!と思いその場で母親に「好きな料理ある?」と聞いたことを思い出す。私も、それから息子である父も、祖母の好きな食べ物が何か知らない。祖母は基本嫌いでなければなんでもにこにこ食べる人だし聞いてみてもなんでもいいのよ、というばかりだから今から確かめることも難しい。好きなものを好きと言う心掛けはもしかしたら自分のために必要なのかもしれない、と思う。

 

・そうは言っても祖母の好き嫌いはある程度、食べっぷりを見ていれば分かる。祖母の食事を母が作るようになってしばらく、判明したのは「たぶん濃い味の洋食やフライが好き」ということ。そういえば私が小さいころによく、老人会のカラオケはみんな演歌しか歌わないからつまらない、と言って、居間ではサラ・ブライトマンやクラシックの好きな曲を聴いていた。老人、と思いこむと見誤るのであって、祖母はそのまま、ハイカラな人のままなのかもしれない。

・とか言うのも、私が祖母をそういう、おしゃれなひとだと思っていたいからなのかもしれないけど。どれだけ介護されるとこを見てても。

 

・祖父の葬儀の打ち合わせで祖父が好きだった色や花を聞かれて家族一同困り笑いしてしまったことを思い出した。誰も分からなかったし考えたこともなかった。好きなものって本当意識しないと分からないな。

 

・ご近所さんが時々家庭菜園の野菜をお裾分けしてくださるのだけど、いつもなにも言わず扉の前にそっと袋に詰められた落花生などが置いてあるので、一瞬(ごんぎつね……)と思ってしまう。 ・寒くなってきたらびっくりするくらい身体に変化が起きてびっくりしている。年齢か、筋肉量か。ひたすら乾燥するし冷える。これまでは、冬だからって何か特別なことをした記憶があまりない。今年の冬は養生に努める。

 

・背中の乾燥に悩んでいたときにググりで知った「手のひらが届きづらい背中の上の方には手の甲を使って塗るといい」という知恵、本当に感謝している。

 

・でも冬は好きだ。寒いと頭が冴え冴えするような気がしていくらでも歩きたくなる。実際寒くなってきてからはひたすら散歩している。

 

・衣替えのとき、着なかった夏服が多くてしんみりした。一軍(誰かと会うとき用)の出番、無かったねえ。

 

キリンジは季節の歌が多い気がする。中でも冬の歌は好きなのが多くて、「まぶしがりや」や「フェイバリット」、「小さなおとなたち」もそうだしクリスマス前には「かどわかされて」や「千年期末に降る雪は」、お正月辺りののどかさは兄名義の「冬来たりなば」、どれもその時期の空気が伝わってくるような歌。ピンと張りつめた冬の冷たい空気の中をのんびり歩くのが好きだ、特に夜。夜の散歩がしたいなあ。冬の夜ならどこまでも歩いていけるような気がするのに。